【恵比寿映像祭】レビュー・感想:トニー・アウスラー、KEIKEN、松本力。映像が切り拓く、スリリングな未来の予感。

2021年2月6日、小春日和の晴れの日。私は恵比寿映像祭を訪れた。入場は無料で、ネット予約により指定された時間に会場へ入る。東京都写真美術館の3階、2階、地下1階を会場に毎年開かれているこの祭典に、私はアーティストとして不可欠なインスピレーションを得るために毎年足を運んでいる。

会期はわずか1週間ほど。慌ただしく過ぎ去る中で忘れられがちなこの展覧会だが、ぜひ早めに足を運んでほしい。そんな願いを込めて、私の視点からレビューを記したい。

映像芸術の源流から、友人たちの表現へ

入り口で消毒を済ませ、荷物をロッカーに預け、身軽になってエレベーターで3階へ。最初に出迎えてくれるのは、映像芸術の元祖・リュミエール兄弟だ。そこから、歪んだ顔が変容し続けるペトラ・コートライト、アニメーションの先駆者エミール・コールの世界へと続く。

そして、私自身も面識がある松本力。彼の人生そのものがアーティスティックな生き方であり、列車のようなオブジェから流れる音楽には強い魅力がある。ぜひ私のYouTubeでもその世界を聴いてほしい。次に現れるシシヤマザキのポップな映像表現も、顔のホクロの位置からして作者本人を投影しているのだろうか、非常にユニークだ。

20年来の再会と、時を超えたオリジナリティ

2階へ降りると、20年ほど前にヨーロッパの美術館で目にしたトニー・アウスラーの作品に再会した。当時から映像をオブジェへと変換する魔術的な手法に魅了されたが、エロティックな声を上げる人形の作品は、今なお誰にもたどり着けないオリジナリティを放っている。映像表現が彫刻的な存在感を持つ、実に魅力的な作品だ。

さらに、私の友人である渡辺豪の、白い人物が瞬きをするような静かな映像作品。会場を出たところには、藤堂高行による、こちらの目をじっと見つめ返すロボット人形。映像と身体性の境界が曖昧になっていく感覚に陥る。

未来への恐怖と魅力:KEIKENが描く「選別」される未来

地下展示室で、私はこの日最も強い衝撃を受ける作品に出会った。KEIKEN(ライアン・ヴォーティエ、サキーマ・クルークとの共同制作)による映像作品だ。大画面の前に立つと、視覚のトリックによって自分がその空間に取り込まれたような錯覚に陥る。

すべてコンピューターグラフィックスで作られた人物たちが、未来都市のような異空間を彷徨う。空港のような場所で、自分が生存の価値がある人間かを検査され、チェックされる光景。裸の体のお腹が半分透明になったクローンたちが円盤に乗って移動し、何かの配列を示す模型が浮かぶ。30分間の映像から、とにかく目が離せなかった。

まとめ:人間は単なるインターフェースか

この作品は、近未来における人間のあり方を示しており、人間が「利用価値」の有無で選別される冷たい未来を予感させる。自分もまた、その選別から漏れて捨てられるのではないか――。そんな不安を煽る恐ろしさがあるからこそ、この表現は圧倒的に魅力的だ。AI、VR、データサイエンスが支配する現代を象徴する、スリリングな映像体験だった。

今年の恵比寿映像祭も、新しい映像表現の可能性を十二分に提示してくれていた。短い会期だが、ぜひ計画を立てて、この新しい「映像の気持ち」を体感してほしい。


第13回 恵比寿映像祭「映像の気持ち」

会期:2021年2月5日(金)~2月21日(日)

会場:東京都写真美術館 ほか

入場料