みなさんこんにちは
お久しぶりです
ブラインドタッチも少しずつできるようになっていこうと思います。
僕はこの2ヶ月間どうやったら新しい時代に対応したアーティストになれるかかんがえてきた。
ヴイログと言う物の存在を知り、様々なYouTubeを見て、
表現というものは本当に刻一刻と変化しているのだと言うことを実感した。
YouTubeは今までシークレットにされてきた秘密を一気に公開している状態だ。
アートのテクニックはもうすでにオープンソースになっていて、絵の書き方も彫刻の彫りかたも、あっという間にコピーできる時代になっている。
特に3dプリンターや3dスキャナーも発達して彫刻家の役割ももうデザイナーのようになってしまっている。
だから現代において芸術の神話性はかなり希薄なものになっている。
ではその中でどういった表現が可能なのか?
今の現代美術の大きな流れやブームは社会的な正義や政治色の強いものになってきている。
ぼくのようにアトリエに篭ってただひたすら作品と対峙して自己表現をしている様な芸術は日々肩身に狭いものになっている。
それならば、YouTubeはその個人でアトリエから世界に向けて発表できる最高の手段であり、また将来そこにしか生き残っていく可能性は無いのではないかと思うようになってしまった。
つまり、トランプ大統領のアメリカファースト主義は世界中に伝播して、ポピュラリティーで人気の高い人が正しいというような価値観が蔓延してきた時、芸術家のインディペンデントな創作や思考はマイノリティーになる。すると、近くにいる友だちだけではなく、遠くにいる世界中の人たちと価値観を共有する必要が出てくる。なぜならば、マイノリティーでは発言権がすくなくなり、個人の感じる幸福が大きな力に押し潰されてしまうからだ。アートはその大きな力におもねることなく、最後まで個人的でなくてはいけない。
マーケティングや方法論ばかりが語られ、100年後、1000年後のヴィジョンが語られにくくなっっているのではないか。
アートは人類の長いスパンで考えられる分野であり、またそのようなアートが後世まで残っていくのではないか?
美術館はそのような芸術を守らなければいけないと思う。
集団やグループで制作するアートが流行っている。そして参加型のアートが流行っている。
物からコトの大きなムーブメントは未だに強靭で、ぼくのようなアートワークをコツコツ作っているアーティストは世の中での需要は日々減ってきている。
だからといって、やりたいことをやめられるだろうか?
ぼくがアートで生きていくために駆けずり回ったヨーロッパでの留学時代。いま、かつて組み上げたそのアートマーケットの構造が崩壊してく音がぼくには聞こえる。
YouTubeがその未来への架け橋になるかまだわからないが、とにかくがんばってみようと思う。

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