
16歳の時、ベーコンは母の下着を身に着けているところを父に見つかり家から追い出された。
ベーコンは美術学校に通っていない。人生経験を通して、彼は絵を学んでいった。
ベーコンのとんでもない酒量と疲れを知らないその社交性は、すでに伝説だった。仕事を終えると、必ずソーホーに繰り出した。
1960年頃、肖像画を頻繁に描くようになった、モデルに選ばれるのは、顔見知りだった。
彼はモデルを使うよりも、記憶や写真を頼りに描くほうが好きだったのだ。なぜなら、実際にモデルはその場にいなくていいからだ。
モデルなしで肖像画を描くことがなぜ好きなのか? と聞かれた際、制作中モデルに暴力を振るわないようにするためだと答えたという。
彼は偶然を好んだ。
絵具を掴み取ってキャンバスに投げつけるだけで肖像画が描かれる。それが理想だった。
写真のように実物そっくりな絵を描くことは彼にはどうでもいいことだったのだ。
表面を混沌とさせることで、彼はその人の真の姿を捉えようとしたのだった。
思考を経由することなく、まっすぐに神経に到達する作品を描く努力をしたのだ。
彼はイラストレーションになることを極力避た。
クライアントから肖像画の依頼を受けたベーコンは、依頼者ががっかりしていると気付くと、その絵を破棄して、報酬も受け取らなかったという。

ベーコンは語る。
現代人に必要なのは、ある種の速記力だと、そして、常に襲いかかる情報の爆撃に、決して屈してはいけないと。
そして、それを受け止め、そこからひとつの世界観を築く能力を身につけるべきだと。
彼の絵のテーマは、
本能に駆られた人間の行動だ。
彼のアトリエの床には、映画・医学、文献・画廊・巨匠たちの作品の複製画、ニュース写真週刊誌の切り抜き、猛獣狩りの写真、医療用画像などが散乱していた。
ニュース写真の直接性や衝撃と巨匠たちが遺した作品の永続性のふたつを結びつけることこそ、ベーコンが作品を通して実現させたいことだったのだ。
ベーコンは話し上手で、芸術について、あるいは作品をつくりたいと雄弁に語った。しかし、自分の作品は説明不能だと主張していたという。
なぜなら、
言葉でまとめられるなら、絵を描く意味などないと、そんな絵は、イラストレーションだと。
彼はイラストレーションという単語を嫌っていた。彼は、絵画とは何か、絵画は見る者に対してどんな影響を与えるべきかといったことこそ大切だと考えた。
絵を描くことは闘いだと、しかもそれは、偶然性に関わる闘いだと。
作品づくりはうまくいくこともあるが、そうならないことのほうが圧倒的に多かった。絵画にとっての成功とは、感覚の弁を開放することであり、思考を経由せずに、まっすぐ神経へと到達する作品を生み出すことだった。
しかもストーリーや象徴に頼らず、描かれたイメージ自体が放つ効果を利用したいと考えていた。
しかも、その作業がうまくいくときは、画家自身が自分のしていることを意識しないときなのだ。
参照文献
僕はベーコン 発売元 パイ インターナショナル
画像 アンスプラッシュ
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